「PLEASE」(連載第一回・ep4)
モード誌をつくる孤高のマガジニスト

雑誌の編集街道を30年以上歩み続ける北原 徹が編集する、ファッション系インティペンデントマガジン「PLEASE」。元POPEYEの副編集長であった彼が自らの力だけで作り始めた気鋭の雑誌も、はや創刊から5年を迎えた。

 インディーズマガジンにおいて、ファッション雑誌というものはニッチなジャンル。いや、言い換えれば作るのが大変だからなかなか手をつけないジャンルと言ってもいいかもしれない。そんな中でも、PLEASEは第一線の日本のモード誌として継続して発行されている稀有な存在。謎も多い同誌について我々の質問は尽きず、北原氏へのインタビューは長時間に及んだ。そこで、このインタビュー記事は6回に分けて配信することに。某映画シリーズよろしく4,5,6→1,2,3とエピソードを読み進められるように構成した。

 初回はPLEASEの成り立ちについて。彼はどんな思いでインディペンデントマガジンを作り始めたのか、その創刊当時の想いや背景について聞いた。

雑誌PLEASEの成り立ち

2016年に発行された、PLEASEの記念すべき創刊号。

(本文)
 PLEASEを語る上で、まずは北原徹という編集者のことについて触れなければならない。彼のプロフィールでよく触れられるのは、雑誌POPEYEの元副編集長であったこと。週刊SPA! やananなどで編集経験を積み、2000年代のモード期のPOPEYEで副編集長として手腕を発揮したことで知られている。

「中途で27歳の時にマガジンハウスに入社して、25年間ほど在籍していました。ぼくはページを作るのがとにかく好きで、POPEYEの副編集長時代は編集ページの半分以上をぼくが編集していたことも多々ありました。編集って面白いのに、なんで他の編集者は自分でページをどんどん作らないんだろう? と不思議に思ってましたね。与えられたページを作るのは当たり前、その先をやるのが面白い、なんて思っていたけれど、考えてみたら、自分もヒラコ(平の編集者)時代はあっぷあっぷだったから仕方ないんですよね。ただ、この頃からひとりで作る雑誌はアリだな、と思っていました。というか、実際に役員にはそういう時代が来ると思う、と進言してしましたね。だから余計に、実験的に、一冊作れるくらいのページを作っていたのだと思います」

 彼が名乗る時に使う肩書きは「マガジニスト」。雑誌作りについては一家言も二家言もある。

「独立したとき、雑誌しか作らない編集者っていいなぁ、と思ったんです。日本は総合出版社が当たり前ですが、マガジンハウスはその名の通り雑誌だけの出版社で、35年くらい前までは書籍部がなかったんです。これは海外では当たり前と聞いています。書籍は書籍専門の会社が作り、雑誌は雑誌専門の会社が作る。なんとなくですが、当たり前だと合点が行ったのです。それで、ぼくは個人だからマガジンハウスとは名乗れませんし、商標もあるでしょうから、雑誌編集者ってもしかしたら『マガジニスト?』かなと。それで調べたら、一応英語にあったんです。で、肩書きにしました。だからだと思いますが、雑誌作りに熱がはいりますよね(笑)? ぼくは木滑さん(初代POPEYE編集長)時代を読者としてしか知らないのですが(中学時代、創刊号からの読んでいたマセた少年だったという)、木滑さんと同じ作り方をしていたようです」

POPEYE副編集長から1人のマガジニストへ

PCに向かっているのは、アートディレクターである大火車さん。賛同しくれている数人のスタッフの手を借りながら、ここでPLEASEが制作される。

「コロナ禍で、椎根和さんの『ポパイ物語』(新潮社刊)と赤田祐一さんの『ポパイの時代』(太田出版刊)を久しぶりに読み返して、僭越ながら、キナさんに似ているかもと思いました。実際、椎根さんにPLEASEを見ていただいて、『平凡出版のDNAは北原くんだけが引き継いでいたんだね』と嬉しい言葉をいただきました。まあ、編集会議もろくすっぽやらず、いつの間にかPOPEYEが出来上がっているっていう時代でしたね(笑)。編集長になるとページも作らないし、ましてや原稿なんて書かないって人も多いと思いますが、キナさんはじめ、次郎さん(石川次郎さん)もみんな原稿書きどころか、イラストまで描いてしまう先鋭ですから。そういう作り方をぼくも自然としていたんだと思います。初期POPEYEのように“カタログ”を作っている感覚で、自分の出来る範囲でのファッション誌、それがPLEASEの作り方だったんです。自分で言うのもなんですが、マガジンハウスが会社らしくなっていく前の、昔の編集スタイルを勝手に引き継いでるような男だと勝手に思い込んでいました」

 そんな自他ともに認める編集狂・北原氏がPLEASEを始めたのは、彼がマガジンハウスを退社して1年経とうとした頃。創刊号からコムデギャルソン オムプリュスを特集し、有名スタイリストを起用したり、俳優の竹中直人さんをがモデルで登場したり……。センセーショナルなモード誌として、ファッション界注目の一冊となった。

 そんなPLEASEの事務所は、今年中に取り壊しが決まってしまったという、都内某所の昭和のビル。自ら壁材や天井材を取り払い、照明も排除。窓枠はアルミではなく、昔ながらのサビの浮く鉄サッシ。シャビーを通り越し、もはや建物の骨格そのものと言っても過言ではない無骨なワンフロア。ファッション雑誌の編集部に抱く、華やかなイメージとはおよそかけ離れた場所だった。

「事務所を移して2年弱で、最低でも4年は居る予定だったのですが、急遽取り壊しになってしまって残念。ピカピカのところは居心地が悪く、断然古いビルが好き。夜になっても間接照明だけで、薄暗い中で仕事をしています(笑)」

その姿を想像するとまるで映画の中で見るような悪役のアジトのようだが、これが最先端のモード誌が作られる現場。ときにはスタジオとしても使用されるこの場所は、編集部というよりもアトリエと呼んだ方がしっくりきそうだ。

自ら写真を撮って、文章を書いて、編集をする。

 北原氏はPLEASEを編集する傍、ブランドのカタログやWebのディレクションなども請け負っているが、実はもう一つの顔がある。それはフォトグラファー「Ray and LoveRock」として、ブランドのルック撮影なども手掛けていること。

「写真において、自分はバスケットボールで言うところの『シックスメン』で良いとPOPEYE時代は思っていました。あくまでも素晴らしいフォトグラファーに囲まれていたのでサブ要員で良かったのです。だけれど、実際に雑誌を『劇団ひとり』ならぬ『編集ひとり』で作るにはスケジュール的にも、ダイレクトなイメージを生み出すためにも、経済的にもシックスメンだった自分が、マイケル・ジョーダン(ジョーダンさんをメタファーに出すのは本当に申し訳ないと思います……北原談)にならなきゃ無理だと思ったのです」

 それゆえにPLEASEでは、基本的に表紙も中面も彼が撮撮り下ろすスタイルが必然的に完成。そうやって氏は、編集・ライティングから撮影まで、一人でなんでも(しかも高いレベルで)こなしてしまっているのだ。

「写真に興味を持ったのは、SPA! で篠山紀信さんの担当をやっているときから。はじめはローライフレックスの二眼レフを買って趣味で撮っていたんですが、いつしか仕事でも撮るようになりました。なんでも自分でやろうとするのも昔の編集者らしいところでもありますよね。それでマガジンハウス時代からぼくが撮った写真を媒体でも使っていて、メゾンのタイアップ記事も撮影していました。ディオールの時はリリーフランキーさんと2人でフランスに行って、ムッシュディオールの家を訪ねて写真を撮らせてもらったこともありましたね」

 業界ではたまに話題に上がる、「カメラマン」と「写真家」という言葉の違い。(意識的に使われていない場合も多いが)カメラマンにはオーダーに合わせて写真を撮る、職人的なニュアンスが感じられ、写真家にはその人の感性に基づいたクリエイティブな写真を撮る、アーティストというニュアンスが感じられる。

 それでいうと北原氏は間違いなく写真家タイプ。被写体を自分のフィルターを通して、その上でアートのような写真を撮っているように思う。編集者が写真を撮るということは出版社によっては無くはないが、写真家のように自らの作風を確立している人はそう居るものではない。

TAKAHIROMIYASHITA Thesoloist. 2021S/Sのコーディネートページ。 PLEASE vol.15より。

「ぼくはブレ・ボケ写真を撮るのが大好きで(笑) PLEASEでは5年くらい撮り続けています。ある種僕の作風にもなっているかもしれませんね。ファッションポートレートで有名な写真家、リチャード・アヴェドンも、実は若い頃はブレ・ボケ写真ばっかり撮っていたらしく、ぼくも最近知ったんだけど、『アヴェドン・ブラー』(アヴェドンのボケ・ボカシ)という言葉があったそうです。だったら、ぼくの写真は『北原ブラー』かな(笑)。ただ最近は意識的にパキッとした写真を撮りたいと思い、ここ数号ストロボを多用した写真も増やしています」

 とは言え、最新号にも北原ブラーは健在。ファッション誌は洋服の良さを伝えるためにあると思うのだが、PLEASEの誌面はブレている写真、ディティールが大雑把にしかわからない写真が大半を占めている。それは洋服というモノを直接見せるのではなく、写真からインスパイアを得て欲しいということなのだろうか?

「これは自分とPLEASEのテーマでもあるのですが、『ファッション雑誌とはそのものを買わせるための本当の意味のカタログではなく、ファッションというイメージを伝えるべきもの』。ファッション誌の役割は、雑誌を読者が手にとって、それを実際に見たくなるように仕向けるものだとずっと思っています。つまり、PLEASEはショップに足を向かせる引き鉄であり、起爆剤であり、導火線であると思うんです。同時に自分の伝えたいものを発信する場であって、直接行動を誘うものではないと思うんですよね。むしろ間接行動、啓蒙運動みたいなところがある。ファッション誌を作る人は、そういうところを線引きしておかないといけないと思っています」

 ファッション雑誌は啓蒙活動であるべき。そう言う彼はさらに続ける。

「青山ブックセンターの雑誌売り場に行っても、大手の雑誌を見ると旧態然としていて、ページをめくりはするけど、ああこういう感じか、とすぐに閉じちゃう。PLEASEは世界に通用するモード位雑誌という心意気を持ちながら作っていて、今出ている最新のVol.15も特に強い想いを込めました(もちろん、毎号です 北原談)。それまでと少し趣を変えているのですが、読んだ人が『なんの秩序もないですね、アナーキーですね』と思ってくれたら大成功ですね。まだまだやれるんだぜ、と見せつけているつもりです」

ep5 「ファッションと雑誌の親和性」に続く。

Infomation

「PLEASE」
Web:https://www.please-tokyo.com/
Instagram:@please_tokyo

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