生命の弾倉としてのライフマガジン「つち式」とは?

奈良の里山から発信される、前衛的な雑誌

何やら感じたことのない印象を覚える表紙に誘われて、つい手に取った一冊の雑誌。アーティストが作った難解な内容かも……と思いつつ、買って帰って読んで見ると、「これぞインディペンデント!」と膝を叩きたくなるような、パーソナルで熱の籠った記事が展開されていた。

 「つち式」は、2015年から奈良県宇陀市に移住し、里山暮らしをしている東千茅(あづま ちがや)さんが主宰・発行している「生命の弾倉としてのライフマガジン」。「つち式 二〇一七」は“生存”をテーマに農作や養鶏という命の営みを通じて、生きることを問いなおした、その創刊号だった。

 そして今回ご紹介するのは、2021年1月に発行された、第2号となる「つち式 二〇二〇」。ちなみに表紙に書かれた「一/二〇〇」という数字はシリアルナンバーではなく、今後200号続くうちの1号目ということ。これからは年に1回発行していく予定だそうで、つまり200年続けるプロジェクトを立ち上げたという意思表示でもある。

田舎暮らしの喜びや発見を、年ごとに記録にまとめていく

棚田の傍に残された栗の木。その切り株が腐り朽ちて空洞になった部分に鳥が実を運び、そこから偶然にもしだれ桜が生えたという、最初のストーリーが読者の興味を惹きつける。

 なぜか切り株に挟まったキウイ、簡単に捕まってしまう鈍いカヤネズミ、草刈りによって保たれる里山の生態系、養鶏小屋で繰り広げられたコントのようなドラマetc……。著者の考察に頷き、動植物の生命活動にハッとさせられる、つち式のエッセイ。家畜や農作物、虫や動物、川や海や森に日頃から触れている人と、そうではない人では「生命」について考える機会は圧倒的に違うのだろうなとつくづく思う。

わたしの里山生活は五年が経過し、六年目を迎えている。これまでは自分一人でできる範囲のことを進めてきた。だが里山を相手にする以上、一人で為せることには限界があるし、自分の寿命だけでは足りない。そこで、里山制作団体「つち式」を作ることにした。それにともない、雑誌『つち式』はその一部門と位置づける。——なにを隠そう、もともと「つち式」は実践団体として構想していたものの、まずは自分の里山生活を建てることが先決と判断し、それが一応体をなした時点でひとまず雑誌制作に舵を切っていたのだった。そして現在、機は十分に熟したはずである。

P34「二百年の里山」より抜粋

 田畑で米や野菜を育て、養鶏をし、自給する生活を送る東さんが画策しているのは、里山の拡大。200年というのは、つち式が考える理想の里山を育むのに必要な年月だという。今号では彼の思想や、自然や動物との付き合い方などが語られると共に、ここ数年の里山での出来事が描かれていた。

 普段山もない都市部に住んでいる者からすると、「里山」という言葉は人と生活が交わる美しい場所を表すものだと認識し、自然やノスタルジックなニュアンスを感じていた。しかし実際に里山に暮らし、育てていこうとする彼らに言わせれば、そこに積み上がっている問題を無視したような、そんな聞こえのいい形容詞として「里山」を定義すべきものではないというのだ。

もとより里山は歪である、不正である。ここには、人間を含む数多の生物たちの血塗られた歴史と戦略が渦巻いているし、腐敗したわたしたちは我欲に忠実にお互いを利用しており、そのためお互いの境界を侵略して生きている。したがってわたしは、里山を品行方正にして悠々閑々たるものとする通念に反旗を翻す。里山は外道のたまり場なのであって、多種混淆の淫乱好色、蛙鳴蝉噪たる世にも愉快な地帯/痴態である。ながらく里山に着せられてきた拘束具が逆にそれを物語っているといえるだろう。

P4「巻頭宣言」より抜粋

 時には異種生物たちを利用し、異種生物たちに利用されながら成り立つ人間。里山はその舞台であり、そこにフォーカスを当てることによって、つち式は生の本質について問い続ける。

独創的な誌面デザインと豊かな言語感覚

センスが伝わってくるキワドイ見開き。里山制作団体「つち式」としての活動も本格化し、2021年からは月に2度の共同作業が行われるようになったそう。棚田全段を使った流し素麺も本気で行うらしい。

 上記のページデザインに関してはネタという意味合いが強いが、一般的な商業雑誌に慣れ親しんできた読者からすれば、新鮮というのを通り越してショックさえ受ける。雑誌ってこんなに自由でいいのだと、勝手にメッセージを受け取ってしまった。

 前衛的で派手な誌面デザインには里山という言葉に付随するイメージのアンチテーゼも含まれているようで、その意思を視覚的に表現。また、農作業中に携帯で撮った写真を活かして構成するための方法なのか、わざと写真を網点がかった加工にする手法なども散見される。ページをめくる楽しさを感じる秀逸なデザインは、ヴィジュアル雑誌としても成立してしまうほど。

 そして特筆すべきなのは、やはり文章。誌面から多くを抜粋させていただいたが、一冊を通してこのような調子で文章は綴られる。なんだか小難しい言葉が並ぶわりに、ウィットに富んだテンポの良い語り口。それが誌面デザインと相まって心地良くすらあるのだ。

里山から生まれる人文

二百年の里山制作計画「里山二〇二〇」について

 まるで歴史の中に登場する文豪のような言葉を紡ぎ出す東さんという方は、果たしてどんな方なのだろうか? 隠居生活を始めた文豪か何かかもしれない。そう思って興味が抑えきれずに調べてみると、なんと平成生まれの30歳だという。

 ただし、東さんが里山で暮らす目的は、都会から田舎に移り住む若い移住者や自給自足の暮らしを憧憬する人が思い描く、“持たない生活”や“スローライフを楽しむ”という方向ではない。むしろ、そのベクトルが向いているのは“悦びの追求”。里山を作り上げながら、貪欲に、前のめりに生きることを追求しているのだ。

どうすれば多様な生き物たちと共に生きられるか、というのがわたしの切実な関心である。もっとも、生物多様性はヒトの生の根幹でもあるので、これを恢復向上させることは関心以前の話ではある。が、とにかくわたしは、自分が多種に囲まれていないと生きた心地がしない。作物や懐が肥えるだけでは全然足りない。

P70 「穴だらけの世界の 穴だらけのわたしたち」より抜粋

 また抜粋させていただいたが、雑誌つち式の魅力の核はやはり東さんの考えにあると思う。とにかく文章を読まずして、この雑誌を語ることはできないのだ……。

 ほなみちゃん(稲)、ひだぎゅう(大豆)、ニック(鶏)たちとと暮らす彼、および里山制作団体「つち式」の今後にも注目。来年の発行が今から待ち遠しい。

Information

つち式 二〇二〇 ¥1,430
URL:https://tsuchishiki.com/
Twitter:@shhazm
note:東千茅 / つち式

PAGE TOP